催し物

野生司香雪-釈尊に生涯を捧げた仏画家,令和元 年 9月12日(木)令和元 年 11月27日(水)

お釈迦さまの生涯を描くことに全身全霊をかけた仏画家・野生司香雪。

インドで仏教再興を志して昭和6(1931)年に鹿野苑(サールナート)に建てられた初轉法輪寺(Mulagandhakuti Vihara 根本香精舎)の壁画に彼は『釈尊一代記』を完成させました。

昭和7(1932)年から昭和11(1936)年の約5年間もの年月をかけたその画業は、異郷の風土というだけではなく資金の欠乏にも悩まされながらのもので、まさに捨て身の苦行のように精進を続けられた成果でありました。

その香雪の仏画家としての集大成であり、また最期の大作でもあるのが仏教伝道協会の所蔵する『釈尊絵伝』です。昭和30(1955)年に仏教伝道協会発願者の沼田惠範氏から製作を依頼されたものですが、画伯は製作途中で脳出血を患ってしまいました。しかしその治療とリハビリを繰り返しながらも製作を続けられ、昭和34(1959)年7月ついに7枚の絵画として完成されたのです。

この香雪が命を賭けて描きあげた『釈尊絵伝』全点を展示します。

自筆の手紙などとともに香雪の畢生の大作である仏画の世界をお楽しみ下さい。

会  期 令和元年9月12日(木)~令和元年11月27日(水)
毎月1・15日の午前中は休会となります。
時  間 8:00~16:30 (11月は16:00迄)
場  所 瑞巌寺宝物館「青龍殿 会議室」(宮城県宮城郡松島町松島字町内91)
料  金 瑞巌寺拝観料でご覧いただけます。
主  催 公益財団法人 仏教伝道協会
後  援 瑞巌寺

Kosetsu Nousu – A painter who dedicated his life to the Buddha

Kosetu Nousu is a Japanese painter who devoted his life to producing Buddhist paintings depicting the life of the Buddha.

Nousu completed a magnificent mural painting depicting the life of Buddha at the Mulagandha Kuti Vihar Temple in Sarnath, India. During the process of achieving this significant work, which took him about five years from 1932 to 1936, Nousu was accosted by considerable challenges such as being in a totally different country and culture as well as a lack of funds. It was as if Nousu was devoting himself to ascetic practices even at the risk of his life.

Nousu’s finest and final masterpiece is “The Life of Buddha”, owned by Bukkyo Dendo Kyokai(Society for the Promotion of Buddhism). Rev. Dr. Yehan Numata, the founder of Bukkyo Dendo Kyokai, commissioned Nousu to produce this piece in 1955. Unfortunately, however, the artist was attacked by cerebral apoplexy during its production. Even though he was going through recovery and rehabilitation, Nousu never stopped working on his work, and finally the magnificent masterpieces of seven paintings were completed in July, 1959.

This is a must-not-miss opportunity to witness Nousu’s last and the finest Buddhist masterpiece as well as to view some of the letters he wrote during his lifetime.

Sponsorship Bukkyo Dendo Kyokai(Society for the Promotion of Buddhism)Supporting Organizations: Zuiganji Temple
Date September 12th (Thu.) – November 27th (Wed.), 2019 8:00 AM-4:00 PM
Location Zuiganji Temple
981-0213 Japan Miyagi Prefecture, Miyagi-gun,Matsushima Town, Matsushima Aza-chonai 91
Admission free ※You must pay admission fee to enter the Zuiganji Temple.

野生司 香雪(のうす こうせつ)

明治18(1885)年~昭和48(1973)年
明治から昭和時代の日本画家。仏画家。日本美術院院友。

香川県出身。東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業。下村観山に師事する。仏教美術研究のためインドに渡り、荒井寛方のアジャンタ壁画の模写を手伝う。初転法輪寺(Mulagandha Kuti Vihar:インド・ベナレス郊外サルナート<Sarnath>)にインド政府の依頼により釈尊一代の壁画を揮毫する。

帰国後は、長野県善光寺雲上殿や埼玉県名栗観音などの壁画や仏教伝道協会より依頼された『釈尊絵伝』の大作を手がけた。

日本画壇の表舞台には出ず、長野で文化人や高僧と交わり、作画を楽しむ文人的生活を送った。
インドから聖牛である白牛を招いたり、インド・スリランカ・ビルマなどの仏教国からの要人を自身の山荘に迎えるなど、生涯をインドと日本の交流の架け橋役を担う。昭和48(1973)年に仏教伝道協会より「仏教伝道功労賞」を受ける。

野生司 香雪

野生司 香雪

釈尊絵伝

①托胎(たくたい)

子宝に恵まれなかった摩耶夫人はある夜、白像が天から下ってきて胎内に入る霊夢を見た。生まれてくる子供は出家すれば仏陀になると預言された。

托胎

托胎

② 降誕(ごうたん)

里帰りの途中にルンビニーの花園で休憩をしていた摩耶夫人は美しい聖樹に手を伸ばしたところ、急に産気づき、右脇からシッダールタ太子が誕生した。生まれた太子は7 歩あるき、右手を天、左手は地を差して「天上天下唯我独尊」と話された。聖樹については諸説あるが、香雪は因果経や普曜経などから無憂樹とした。

降誕

降誕

③出城(しゅつじょう)

幼くして母を亡くしたシッダールタ太子は、人間として生きている本当の意味を探し求めるため、深夜に白馬カンダカに乗って城門を忍び出て苦行林に向かった。

出城

出城

④牧女の供養(もくにょのくよう)

6年間の厳しい苦行の末、心身ともに疲れ切ったシッダールタは、一人の貧しい村娘の捧げる一椀の乳がゆを受けた。極端に肉体を苦しめるだけでは悟りを開けないこと気づき山を下りる。その姿は苦行で身体が痩せ細った姿の「出山釈迦」をあらわしている。共に修行をしていた5人の修行者は立ち去ってしまう。

牧女の供養

牧女の供養

⑤成道(じょうどう)

菩提樹の下に東面して座し、禅定に入った。魔王による様々な誘惑や妨害に対して、降魔の印で悪魔を退けて成道( 悟り) にいたり仏陀となった。
香雪は最後の大作の途中で力尽きても後悔ないよう最重要場面である本図を第一に仕上げた。

成道

成道

⑥転法輪(てんぽうりん)

仏陀となったシッダールタは、しばらくひとり心で悟りの内容を味わった後、鹿野苑( サールナート) の地で修行していたかつての修行仲間である5 人に対して初めて自分の悟った内容を伝えるための説法を行った。「転法輪」とは、仏法を車輪にたとえて法輪と呼び、これが転進して衆生を救済するという意味。

転法輪

転法輪

⑦涅槃(ねはん)

諸行無常の教えの通り、大光明に包まれ入滅した。上半身周りの弟子達は阿難以外は取り乱すことなく静かに見守っているのに対して、下半身の周りの信者達は貴賤男女問わず泣き崩れているのが特徴的。また特に注目すべきは活眼し臨終の瞬間をあらわしていることである。

涅槃

涅槃

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