松島の瑞巌寺、平泉の毛越寺中尊寺 、山寺の立石寺は、いずれも平安時代に慈覚大師円仁(794~864)が開いた古刹です。
円仁は、栃木県の人。9歳で仏門に入り、比叡山延暦寺の最澄の弟子となりました。
835年には遣唐使とともに入唐し、天台宗の霊山の一つである五台山大華厳寺、長安の青竜寺などで天台密教の秘法などを得て帰国。
第三代天台座主となると、弟子の育成、天台宗の普及、比叡山延暦寺の躍進に尽くし、死後、慈覚大師の謚号(しごう)を贈られたのです。

松島・瑞巌寺

平泉・中尊寺、毛越寺

山寺・立石寺

瑞巌寺は、1600年に伊達政宗が仙台城下の経営を始めるとともに改めて重要視され、桃山文化の粋を集めた伽藍が1609年に再興、伊達家の菩提寺となりました。海岸にも五大堂や観瀾亭が造られ、”日本三景”と言われた松島の中心となり、更に和歌や俳句、漢詩、絵画など、紀行アートのメッカになりました。

平泉は、平安末から鎌倉時代にかけて、奥州藤原氏四代の栄華が実現されたところです。
マルコポーロの『東方見聞録』は日本を”黄金の国ジパング”と呼んでいますが、それは都へ金を送り出した平泉文化がもたらしたものだとも考えられております。
中尊寺、毛越寺は平泉文化の中心として栄え、光り輝く金色堂や浄土庭園が黄金文化の象徴となっておりました。

立石寺は、慈覚大師の遺体を運んで納葬したという入定窟もあり、信仰の一大拠点となりました。山形県は古来紅花の産地であり、紅花は染料となり織物となって最上川の舟運で酒田港に集まり、北前船で京・大阪に運ばれて日本文化の礎となってきました。立石寺は、最上・出羽のくにを守る寺として、紅花の往来なども見守ってきたのです。



御朱印は、お写経を納めた証しとしてお寺のご本尊の宝印を頂戴するものでした。現在では、寺社参拝の記念として旅行の楽しみの一つともなっています。
四大名刹(瑞巌寺・中尊寺・毛越寺・立石寺)参拝の御朱印は、松島瑞巌寺の臥龍梅の木から作られました。大変ご縁のある御印です。集印はどのお寺から始められてもかまいません。各寺の御朱印所にお申し込みください。四大名刹すべての御朱印を集められますと結願の御印と記念品を差し上げます。
集印の色紙は観音開きとなっており、お仏壇などにお祀りいただけるようになっております。

四寺廻廊公式ホームページ

四寺廻廊公式ホームページはこちら

ページの先頭へ