境内

洞窟遺跡群(どうくついせきぐん)

松島を形成している第三紀凝灰岩層を掘った洞窟は松島のいたるところに見られる。
地上の洞窟群は地下の洞窟より先行する事は考えにくく、天台宗徒が掘ったと言われているが、江戸時代以降の供養塔しかない事から江戸期に掘られた洞窟群と考えられる。
洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたことがわかる。
墓所ではないので、納骨はなく(例外有り)、供養者には県外(岩手、山形等)の人物も認められる。
洞窟内で最も古い供養塔は、寛永13年(1636)、政宗公に殉死した佐藤内膳吉信(法得紹隆禅定門)のものである。
古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人の供養が営まれた場所であった。

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