境内

本堂(ほんどう)[国宝]

南東に面し、正面39.0m、奥行き25.2m
入母屋造・平屋・本瓦葺。慶長14年(1609)完成。
内部は禅宗方丈様式に武家邸宅の書院を加えた10室間取で、東・南・西三方に上縁・下縁を巡らしております。
南西端に御成玄関が付属しております。

本堂内見取り図

[1]室中孔雀の間

法要が営まれる部屋。天井は二重裾折上小組格子天井で、四天王を示す幡が吊り下げられている。襖絵は仏教誕生の地の鳥、孔雀が描かれている。右から冬→春→秋と変化し、世俗的時間を超越していることを示す。
筆者は仙台藩最初のお抱え絵師・佐久間修理(狩野左京)。

[2]仏間

室中の奥。禅宗方丈様式の須弥壇をしつらえ、最上段の奥扉の中に本尊・聖観世音菩薩立像を安置する。本尊左手に政宗公の位牌、右手に2代忠宗公の位牌を安置する。

[3]文王の間

室中の左手。維新前は伊達家御一門(親戚)が詰めた。襖絵は「周文王狩猟図」。中国・周の文王と名補臣太公望呂尚の出会いを中心に、宮殿の様子や首都洛陽の繁栄等が描かれている。首都洛陽に比する仙台の繁栄を、一門の補佐に願っている。
筆者は長谷川等伯の高弟長谷川等胤。

[4]上段の間

文王の間の奥。藩主の部屋である。黒塗框の豪壮な床の間・火頭窓・違い棚を備えた書院で、特に火頭窓等に施された飾金具がすばらしい。この部屋と上々段の間は、今はなき仙台城本丸大広間にも設けてあり、秀吉公の聚楽第と並び称された仙台城大広間の豪華さを今に伝えている。右手のはめ込み仕立ての4枚の襖は、本来帳台構(主人の私室)となるべき所だが、警護の武者が隠れる”武者隠し”と呼ばれている。
襖絵は牡丹・椿・葵・百合などが描かれている。筆者は長谷川等胤。
火頭窓の上の「円満」の額は、5代吉村公の筆。

[5]上々段の間

紅白椿図 飛天・迦陵頻伽図 竹図 〔長谷川等胤筆〕
上々段は上段の西南に、6畳分突き出した部分で、別に御座の間・又は帝鑑の間とも呼ばれている。上段の間より大きい違い棚が付属し、西南及び東南は明り障子を建てた書院となる。違い棚には「大椿八千歳」即ち悠久の長寿を保ち、しかも吉祥の色である紅白椿が描かれ、天袋の戸襖には平和な悟りの場所に出現する、迦陵頻伽と飛天(天女)が軽やかに舞っている。

[6]羅漢の間

裏側中央の部屋で、政宗公に殉死した家臣及び陪臣計20名、忠宗公の殉死者16名の位牌がまつられている。
部屋を飾る「十六羅漢図」は、佐久間修理の遠孫得楼(徳郎)の制作で、明治初期に描かれたと考えられている。

[7]墨絵の間

廊下左手。維新前は住持の応接室であったと伝えられている。襖絵は左から「龍虎」「寒山拾得」「猪頭和尚」。
筆者は吉備幸益である。

[8]菊の間

東北に面す。御典医の控え室であった部屋には、薬草の菊の絵が描かれている。
筆者は狩野左京一門。

[9]松の間

正面東南端。松・桜を配し、尾長鳥や鳩などさまざまな鳥が描かれている。
筆者は狩野左京弟子一門。

[10]鷹の間

松の間の左手で、室中の右手。維新前は伊達家の武士の控え室であった。柏・桧を配し、白鷺を捕らえたり、兎を狙ったりしている鷹が描かれている。鷹の絵は一騎当千とたたえられた伊達家の武勇を象徴する。
筆者は狩野左京弟子九郎太。

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